今年度は、南部アフリカ人種関係史全般にかかわる文献・史料の収集を行い、とくに、初期ケープ植民地史におけるコイサン系先住民と入植者との関係、オランダ東インド会社治下の奴隷制の実態、「フロンティア」における先住民と「トレック・ブール」との関係、さらに奴隷解放後の先住民・元奴隷・植民者との関係、イギリス植民地支配下の「人種」体制の形成などについて、分析を行った。 その結果、19世紀末までは、従来の南部アフリカ史が前提としてきたような「人種」概念は確乎としたものとはなっていなかったことが明らかになった。その歴史性を無視してこの地域における「人種関係」を論じることはできない。とくに、「混血」状況の展開とそれらの人々によるクレオール語の使用は、従来いわれていたようにケープタウン周辺および「フロンティア」のみに集中していたのではなく、北部ケープ、オレンジ川方面にも広がっており、このことは、ケープ植民地を中心として南アフリカ史を描くことの妥当性をも再検討させるものである。また、そのことは、別言すれば、入植者の末裔としての「ブール人」と「混血」者たちとの同質性をとらえることの重要性でもある。 以上から、一次史料をさらに集め、フリクワ、レホボスなどについての具体的なケース・スタディを行なうことが次年度以降の課題となる。
|