本年度は、本研究の最終年度として、前年度までに収集した史・資料の分析を行い、下記のような暫定的結論を得た。(それらについては、現在、(1)ケープ初期植民における植民者・奴隷・先住民の関係史、(2)ナミビアの「レホボス」の成立史、(3)ナミビア植民地期の「混血」問題にかんする論文としてとりまとめ中である。) 1.ケープの初期殖民において植民者、先住民(コイコイ人)、奴隷の社会経済的相互依存関係は従来考えられていたよりも深く、したがって、「人種」間の婚姻(および婚姻外の性関係)の頻度も高かった。19世紀に「カラード」と「アフリカーナー」という対立する人種カテゴリーに分離していく人々の間の差異は、従来考えられていたよりも小さかった。 2.1.の点より、植民者、先住民、奴隷の相互依存関係は、通常考えられているように植民者を主体とした「クレオール化」過程としてとらえられるばかりでなく、先住民を主体としたクレオール過程としてもとらえられる。二つの側面を自覚的にとらえて民族集団となったのが北部ケープの「グリクワ」およびナミビアの「レホボス」だった。 3.ケープにおける「人種」カテゴリーの形成過程と言語カテゴリーの形成との間には大きなズレがあった。従来の研究では、「アフリカーンス語」形成が「アフリカーナー」民族形成と過度に結びつけられたため、19世紀ケープ社会のクレオール的特色を十分にとらえていなかった。 4.ナミビアのレホボスはケープにおいてすでに「クレオール化」した「オルラム」がさらに植民者と「クレオール化」する、という二重の「クレオール化」によって独自の集団と認識されるようになった。 5.いわゆる「混血」集団の形成史としてとらえられていない、先住アフリカ人と植民者との間の関係においても、ナミビアのヘレロとドイツ人植民者の間のように、植民地体制を大きく左右する越境的「人種関係」が存在した。
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