本研究では、南部アフリカにおいて今日なお社会の諸側面を深く規定している「人種」の観念をその形成史にさかのぼって考察するために、通常「人種」の交差するところに生じると考えられている「混血」と「クレオール」という現象に注目して分析をおこなった。 南部アフリカにおけるクレオール現象の起源は、17世紀半ばにオランダ東インド会社(VOC)がケープに定住したことに求められるが、そのさい、植民者と先住民との二項的な対面関係のみならず、VOCがアジアから導入した奴隷を含む複雑で多層的な関係としてクレオール化が進行した点に特徴がある。しかも、その様相は、ケープ中心部、近郊農場地帯、しかし、19世紀に入りイギリス植民地統治が始まると、新旧の植民者間の競合関係の中で、それまでいわば「自然的に」進行していたクレオール化の過程を整序し、「混血」者を含む住民集団を「人種」化し、「白人」を自認する者が「アフリカーナー」になろうとし、それ以外の者を「カラード」として排除する動きが生じた。そのような動きは19世紀末から20世紀初頭には、社会全体を包み込む隔離の制度に帰結する。 本研究では、ケープ中心部のほかに、ケープ周縁部のグリクワ、ナミビア南部のオルラム、レホボスなどの「混血」集団、およびナミビア中南部の先住民の「混血」をめぐる規制を検討し、実体としてのクレオール化とそれを排除する権力構造を具体的に分析した。そのさい、クレオール化そのものも、またそれに対する規制も、きわめてジェンダー化された過程であったことを明らかにした。
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