研究課題
基盤研究(C)
本研究で取上げる郷土派が登場したのは、ロシア第一次革命直後であり、帝政ロシアの国会開設の動きに触発されて往時のリトアニア大公国領の復活をめざす機運が高まったときであった。往時のリトアニア大公国は近代の国民国家とは異質な多民族国家であり、民族自決が叫ばれた時代の要請には不適であった。郷土派は解決策として連邦制を選んだ。連邦化を踏まえた郷土派の歴史観は、タデウシ・ヴルブレフスキやコンスタンツィア・スキルムントの主張からも明らかなように、東欧史に特徴的な民族解放史観とは一線を画している。郷土派は、出自をみると在地のポーランド系エリートであったが、エンデツィア(国民民主党)が唱導する排他的なポーランド至上主義を断固拒否し、多元民族社会の共存共栄を提唱した。ヴルブレフスキの政治論には、オーストリア・マルクス主義の"文化的自治論"を髣髴とさせるものさえ認められる。郷土派の歴史観は、民族解放論に彩られ、ステレオタイプ化された近代ポーランド史学の再考を促す道標でもある。この視角は、日本近代史との比較を強く要請するものであり、とりわけ19世紀末にヨーロッパで探求された"郷土"の発見が世界史的にみて同時代性と普遍性をもち、その根底に農民問題の解決が共通課題であったことを示唆している。具体的には、新渡戸稲造と柳田國男の民俗学、すなわち"地方"研究と郷土派の"郷土(krajowosc、tutejszosc)"の発見とが共通項で結ばれていたことを本研究では指摘できた。郷土派の流れを汲む人たちは、第二次世界大戦後、ソヴィエト政権に与せず、西側へ亡命を余儀なくされた。その多くは他界し、彼らの主張の痕跡は、回想録などの形で西欧各地の文書館に保存されている。忘れ去られたかにみえた郷土派の見解は冷戦崩壊を機に復活し、本研究では、郷土派の路線が今日のEU統合(拡大欧州)の布石をなしていること、その先駆性を確認することができた。
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Japanese Slavic and East European Studies vol.24
ページ: 165-167
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Polskie powstania narodowe na tle przemian europejskich w XIX wieku. Towarzystwo Naukowe KUL
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Towarzystwo naukowe KUL, 2001 Lublin