研究概要 |
中世からルネサンスにかけての都市像や市民像の変遷史の研究は、「中世とルネサンスの区分線をどのように引いたらよいのか」を検討することから開始した。まずはルネサンスの都市・市民像の転換点を、2世紀の修辞家Aelius Aristides, Panathenaicosに範をもとめて、見事な『フィレンツェ市礼賛論Laudatio Florentinae Urbis』を書いたLeonardo Bruniの都市・市民論の詳しい翻訳紹介から始めている。その成果は当研究科の紀要論文(第二部、49号、50号51号、2001年、2002年、2003年)「L.ブルーニの「美による統治論」-(1)古代アテネを模倣した都市・市民論:形の美しい都市-」、「L.ブルーニの「美による統治論」-(2)市民の心の美しい都市beneficentissima civitas-」、「L.ブルーニの美による統治論-(3)正義の尊重される都市justissima civitas-」に、特に、ブルーニの翻訳に関しては、既に完訳し、また、地中海的な都市の基本的な形成原理も明らかにしている。この論文シリーズは同大学紀要論文(3)で締め括ろうと考えていたが、紙数の関係で、同紀要論文(4)としてAristides, Panathenaicosとの正確な比較をおこなって、古代の都市論との関係を把握した成果は次年度に回すことにした。こうした都市論・市民論に至る過程の研究では、その一端を、「中世イタリア都市国家形成期の歴史叙述と危機の諸相」(山代宏道編『危機をめぐる歴史学-西洋史の事例研究-』刀水書房、2002年、Pp.167-185)で公表している。この論文では主に、12世紀の皇帝側の歴史叙述、大都市や小都市の歴史叙述を層として把握する方法を扱っている。さらに、13・4世紀のダンテ・ペトラルカやヴィラーニなどの、「良き都市像」や「良き市民像」と、しかし、上からの秩序付けの論理を失うと、実際には、「党派争い」に明け暮れてていかざるを得ない都市や市民の実態との矛盾を、今後は、究明していかざるを得ない。
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