本研究は、1930年代のスターリン体制下に推し進められた諸政策を一般国民がどのように受け止め、いかなる意見や評価を構築していたのかを解明することを目的とした。具体的には、3つの政策領域-1.1920年代末〜30年代初頭の急進的工業化と農業集団化政策、2.1937年〜38年の大テロル(大量抑圧)政策、3.1930年代〜独ソ戦直前までの対外政策-を中心に、当時発行された新聞や、ソ連崩壊前後から公開され始めたアーカイヴ資料を分析することで上記の課題の解明を目指した。3年間の作業を通じて、3の対外政策については十分な資料を入手できず成果を得ることができなかったが、1と2の政策領域については、当時を生きた市民が当局に宛てて送った手紙や一般の市民が密かに残した日記などを入手し分析することを通じて、体制やその政策に対する様々な異論や批判的見解が人々の間に伏在していたことを明らかにできた。 また、当初の予定には必ずしもなかった成果も得られた。その一つは、1930年代のモスクワ市キエフ地区の住民が組織した文化生活委員会と自主運営食堂事業の活動に関する未公刊資料を発見できたことで、その分析を通じて、スターリン体制下のコミュニティ活動の一端を窺い知ることができた。もう一つは、同じく1930年代にモスクワ教育大学の寮で作られた生活コミューンのメンバー4人が書き残した「交換日記」をアーカイヴで発見したことで、その分析を通じて、同体制下での友人関係=「親密圏」のありようとその「公共圏」への展開可能性を考察することが可能となった。以上の2つは、「スターリン体制下の個人・親密圏・公共圏」という次なるテーマを構想するうえで、貴重な契機となった。
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