本研究の目的は北欧史にとって重要なテーマの一つであるデンマークの宗教改革に関して、主に政治的な観点から基礎研究を行うことである。具体的には、デンマーク宗教改革の実現過程を明らかにし、その特徴を明確にすることである。 デンマーク宗教改革は次の3段階に分けることが出来る。(1)ルター主義伝播の段階(1517-33年)、(2)内戦である伯爵戦争の段階(1534-36年)、(3)国王クリスチャン3世のコペンハーゲン入城以降の段階(1536年8月〜1550年)。 まず第1段階では、1519年頃にルターの教えがデンマークに伝わり、その後はルターの薫陶を受けたハンス・タウセンらがヴィボー等の地方都市を中心にその教えを広めていった。デンマーク国王フレデリック1世は即位憲章に縛られて公的にはルター主義を公認しなかったが、私的な形、例えばタウセンに保護状を与えたり、息子の嫁には新教徒を迎えるなど、寛容な姿勢をみせた。また諸侯会議を通じて、ローマ教会からの独立を図りカトリックの国家教会体制の端緒を開いている。第2段階では、1533年の諸侯会議で次期国王を決定できず、貴族勢力の台頭に危機感を抱いたハンザ同盟の外圧により、国内を二分する伯爵戦争が勃発した。当初劣勢であったクリスチャン公(後のクリスチャン3世)がスウェーデン等からの援助も受け、最終的には勝利を得た。この戦争終結により、様々な矛盾を含んだデンマークの中世は終わったのである。第3段階では、宗教改革が一気に進んだ。まず、司教全員を逮捕・拘留した上で、教会関係領を王領に編入した。その後身分制議会を召集し、諸身分に司教の逮捕と教会関係領の没収を承認させた。この後、1537年には教会の基本法である教会法が制定され、聖職者を養成するコペンハーゲン大学も再興された。1550年にはデンマーク語訳聖書を出版している。 以上みてきたデンマーク宗教改革の特徴は、伯爵戦争後僅か数ヶ月という短期間に進んだことであり、国王主導の上からの変革であった。国王が名実共に教会の長となり、貴族と共に国政を担っていった。また、宗教改革を機に使徒伝承の伝統も途切れてしまった。さらに、宗教改革実現過程を政治的に見る場合、中央集権化の進展と捉えることが出来、ある意味で1661年の絶対王制導入の嚆矢ともなっている。
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