平成14年度は、キリスト教的時間意識を中心とした中世ヨーロッパの時間意識について、比較類型論的視角を加味しながら考察することにつとめ、あわせて特に比較類型論的視角の系譜の解明につとめた。中世ヨーロッパの時間意識を確立する上でアウグスティヌスの神学が決定的な役割を果たした事情を明らかにしたのはアーロン・グレーヴィチの『中世文化のカテゴリー』である。グレーヴィチの考察はたえず古代の時間意識と対比しながら行なわれる。古代ギリシャの思想家たちは、漠然とではあるが時間がピュタゴラス派のいう「大いなる年」を単位として円環を描いて反復されると考えていた。グレーヴィチによれば、このような時間と歴史の循環論にアウグスティヌスが強く反論したのは、それが神の子の一回限りの出現を否定する結果をもたらすからであり、その際に彼が念頭においていた論敵は、古代的な循環論とキリスト教とを結び付けようとした初期キリスト教の思想家オリゲネスであった。グレーヴィチには、中世ヨーロッパの時間意識を比較と類型化の立場で把握する姿勢が見られるが、このような立場からの歴史認識は、十九世紀ロシアの思想家ダニレフスキーを淵源とすると考えられる。ダニレフスキーは、唯一の著作というべき『ロシアとヨーロッパ』(1871年)において、文化類型論を「文化的歴史的類型」という彼の造語を通じて提唱した。このような歴史の比較類型着はオスヴァルト・シュペングラーの『西欧の没落』2巻(1918-22年)を経てアーノルド・トインビーの『歴史の研究』全12巻(1934-61年)に維承された。ドイツの歴史学者エルンスト・ノルテの765頁に及ぶ大著『歴史的存在』(1998年)もこの系譜に属する側面をもつ。この大著刊行を契機に編集されたノルテ教授八十歳祝賀論文集に寄稿したドイツ語の三宅論文は、比較類型論的視角の系譜の解明につとめた本研究の本年度における成果であり、国際学界に対する発言である。この論文はダニレフスキー以来の文化類型論の系譜をたどると同時に、我が国においても西田幾太郎門下の哲学者高山岩男が戦前に『文化類型学』(1939年)を刊行し、戦後には山本新が『文明の構造と変動』(1961年)によってダニレフスキー以降の系譜の上に自己の比較文明論を確率したことを明らかにしている。
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