平成13年度には申請書に記入したとおり、イングランドに赴いて公文書官やケムブリッジ大学図書館などに保管されている原史料を転写し、コンピュータに入力した。特にケムブリッジシァのトリプロウ・ハンドレッドに関する、イーリ司教や小修道院長領の荘園裁判記録は、イングランドの研究者にとってもまだ未整理であり、研究代表者(朝治)が最初の転写者となる。さらに公文書館で13世紀の公文書類を転写した。両史料の比較により、国王が管轄する司法の分野と、司教等の特権領主の管轄する分野とが、上下にではなく並列的に位置づけられ、司法に関する国家の公権力とは国王と特権領主とが、分担して機能させていたことをつかみ取った。その成果を『関西大学文学論集』51-4等に発表した。 平成14年度には、封建国家の公権力が果たすべき任務を、マグナ・カルタ以後の国王政府が如何に果たしていたのかを1250年までと、1250〜1258年との2期に分けて考察した。その目的達成のために、イングランドに赴き公文書館等で、国王証書の立会人リスト等の史料を転写し、コンピュータに入力した。その結果、ジョン王も、その子ヘンリ3世も公権力にあたる権力を国家目的あるいはイングランド住民のために使っていたとは言えず、王家の特殊利害追求のために利用していた。この成果を『関西大学文学論集』52-4等に発表した。 平成15年度には、国家公権力にあたる権力体が1258年5〜6月に、諸侯の改革運動によって形成され、約2年間実際に機能していたことを、各種の公文書で確認し、『関大文学論集』53-4に発表する一方、これまでの成果を総合して一書にまとめ、京都大学学術出版会から『シモン・ド・モンフォールの乱』として公刊した。 さらにその書にはスペースの関係で収録しきれなかった原史料の転写分の一部を、解説を付けて科学研究費成果報告書冊子体の形で公表する。(近刊)今年度には英文原稿の査読を受けるため渡英した。
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