本研究では、土器焼成失敗品・土器焼成残滓を中心的な分析素材として、集落や集落群の分布・構成や変遷過程の中で検討し、弥生時代および韓半島南部の青銅器時代における分業システムと、それを基礎として成り立つ社会集団間の交流システムを考察した。 水利施設を伴う水田稲作が定着する農耕社会成立期には、自家生産・自家消費のための小規模な土器づくりが、径2kmほどに展開する遺跡群や地域内における分業システムへと飛躍する。それは、個々にみると小規模な集団による協業という形で登場し、さらに遺跡群の中核的な住居群における土器の集中生産へ向かい、土器の生産規模の拡大が図られる。特殊で限定された器種の初歩的な器種分業さえ萌芽している。集団関係を再編し凝集化させる動向を見出すことができる。 こうした土器の生産と供給は、弥生時代中期後葉〜後期初頭に大きな画期をむかえる。その特性として、当該期に登場する大規模集落の内部に土器の専門工房域が設定されること、土器生産は遺跡群を単位としていること、特定の器種が集中生産される器種別分業が成立することを指摘できる。これによって、土器の大量生産化が進むと同時に、それまで遺跡群内に収まっていた土器の供給体制が解体し始める。また、土器の集中生産からうかがえる専業度の高まりに支えられた土器づくりの工人たちの移動や情報交換の可能性が読み取れ、分業体制は広域地域間における交流・交易と連動するシステムの一部に組み込まれる。弥生時代後期終末〜古墳時代前期初頭には、さらに大規模な土器の専業生産と供給のシステムが登場する。日常土器の器種別分業と特殊な器財を器種別分業で生産する分業システムの多重化・階層化も想定できる。また、生産や交流といった社会構造のサブシステムが遺跡群間で分担され、古墳時代社会へ向けての新たな社会的関係が形成される。
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