関東地方縄紋時代後期の土器型式である加曽利B1式〜安行2式の場合に、精製土器が関東地方に広く分布するのに対し、同時期に複数存在する粗製土器の分布は、それぞれ特定の地域に限定されると考えられている。そして、それぞれの粗製土器が分布する特定の地域の中で、精製土器が同じように製作されたために精製土器が関東地方に広く分布すると考えられている。本研究では、200以上に及ぶ遺跡出土の加曽利B1式〜安行2式の粗製土器を多角的に検討した結果、先に紹介した分布上の事実認識は妥当であることを確認し、他方、あとに紹介した考え方が成り立たないことを指摘した。 結論として、加曽利B1式〜安行2式各型式における同時期に存在し分布を相異にする紐線紋土器をそれぞれ土器製作上の技法的なクセを分析することで、特定の紐線紋土器だけが同時期の精製土器と技法的なクセを共有することを見出したことから、特定の粗製土器を製作する集団だけが精製土器の製作を請け負うことを指摘した。しかも、精製土器製作をめぐるこの請負関係は、加曽利B1式〜安行2式の間、請け負う集団が替わりながら連綿と存続することを指摘した。 つまり、粗製土器を詳細に分析することによって、関東地方において、土器製作者集団がいろいろ存在したことが示唆されるのである。と同時に、そのような土器製作者集団を指導した者の存在をも考えざるを得ないのである。ということは、この種の研究は、縄紋社会が平等社会かあるい階層化社会かの議論について、新しい手がかりを提供してくれるであろう。関東地方以外の土器の様相も含めて一層詳細に粗製土器の分析に取り組む必要があるのである。
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