従来の武士と農民だけの中世史を見直すために、京都や鎌倉など中世を代表する中心都市以外の村や町や都市的な場の復原を、考古学資料を軸に文献史料と歴史地理を合わせた地理情報システムの方法によっておこなってきた。研究の対象は、京都府八幡市に所在する石清水八幡宮門前と京都府京田辺市に所在する普賢寺谷中世館群である。研究は歴史情報の取得、歴史情報の分析、歴史情報の総合の3段階でおこなった。歴史情報取得では、木津川の改修によって水没した石清水八幡宮の周辺旧村落跡の分布調査を2001年度におこない、2002年度と2003年度に普賢寺谷の新宗谷館跡で試掘調査と発掘調査をおこなった。歴史情報分析はデジタルマップを利用して石清水八幡宮の周辺村落を推定し、また普賢寺谷の地形と中世の古絵図の関係を検討した。歴史情報の総合では、中世の集落に関わる南山城および他地域の史料および遺跡情報をデータベース化し、普賢寺谷と石清水八幡官門前の復原のためのモデルを作成した。これらの研究の結果、普賢寺谷の中世館群はあたかも根来寺や平泉寺でみられるような宗教を核とした城塞都市に類似することがわかった。これは当時の一般的な中世村落とは異質であり、山城国一揆の見直しにもつながる。石清水八幡宮門前では従来の研究が中世後半のみの復原であったことを明らかにし、宮寺が最も中央権力と結びついていた平安時代後期から鎌倉時代の風景は、水陸交通の要衝として淀を最大の門前としていた可能性を指摘した。これは中世前半の都市論に対する新しい提案である。
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