本研究課題の達成のためには、朝鮮半島三国の各地域の併行関係を確定することが肝要である。それには特異な副葬品による対比ではなく、各地域の副葬土器編年を確立し、それらを相互に比較できるようにすることが基本的な前提となる。そこで、新羅、加耶、百済の中心地域の土器の移り変わりを調べ、日本の副葬品や土器との関係で年代のわかる資料をキーにそれぞれ相対的な年代を付与し、三国の併行関係を確定することができた。これにより、研究者間で数十年以上の開きがある各古墳の年代観を是正した。この土器編年に基づいて、馬具や金銅製沓などの特殊な製品の展開を地域ごとに対比し、各地での生産や地域間の交流、配布行為などの有無を確かめた。その結果、馬具は4世紀後半以後よく似た鉄製鐙や鏡板が各地でしだいに普遍的に見られるようになるが、日本ではそれがやや遅れて始まること。その後の日本の金銅装馬具は従来、加耶をはじめ朝鮮半島製品との関係が説かれていたが、朝鮮半島とは技術や形態の伝統が異なり、両地域とも基本的に同一のモデルをもちながら6世紀にかけて独自に生産を行っている姿が浮き彫りになった。それらのモデルは基本的に中国にあったと考えられる。このほか、金銅製沓は5世紀中ごろ以後、新羅と百済でやはりそれぞれ別々の伝統を保持しながら製作が続くことが確認され、日本は百済の影響で製作を開始することになる。また、龍鳳文環頭大刀は加耶を含め広く中国から配布されているらしいことなどが推測されるに至った。
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