本研究課題は、日清戦争後から大正期にかけての国民国家確立期の日本において、ドイツ思想・文化がどのように受容され、時代精神が創出されていったかを考究するもの。ドイツ留学体験と哲学・美学・文学研究の成果によって文明批評と自己探求を展開した、近代日本の文学者・哲学者の文明評論や文学作品を考察対象とするが、今年度は、鴎外・森林太郎の場合を重点的に考察し、[研究発表]の項に挙げた2編の論文をまとめた。 「森鴎外の<文化>認識とオイケン受容」では、鴎外の<文化>認識がルドルフ・オイケンらドイツ新理想主義哲学の受容と不可分であり、明治末年から大正期にかけての鴎外文学に見られる<文化>の概念規定も、オイケン哲学の受容が決定的な要因となっていること、鴎外によるオイケン受容は、<精神生活>の重視によって<文化>が<文明>から自律してゆく近代日本のエポックと、まさに対応するものであったことを論じている。 また、「森鴎外の<大学>論と<学問>観--その主張内容に見る現代的意義」においては、留学での研鑚や文献の閲読をとおして、近代ドイツの大学理念や学問論に触れた鴎外が、<学問>は功利的な目的のための手段ではなく、真理を探究する営為そのものを意味し、<大学>は<学問>の理念を実現する場であるという、ドイツ理想主義哲学によって唱えられた<学問><大学>の定義を自家薬籠中のものにしていることを論じている。 尚、[設備備品]としてCD-ROM版「太陽」(八木書店)を購入したが、鴎外論に際しての利用は、樗牛・高山林次郎と嘲風・姉崎正治による論説の引用にとどまった。来年度以降、巽軒・井上哲次郎、操山・大西祝、小波・巌谷季雄、筑水・金子馬治、抱月・島村滝太郎、竹風・登張信一郎、桑木巌翼らの論説・評論を考察する際に大いに活用したい。
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