本研究課題のうち、本年度=平成15年度の成果として、論文「近代日本における<批評>概念成立への道程・序」を執筆した。文学や芸術作品の解釈・分析、美学的評価・議論を記述したジャンルとしての西洋近代の<批評>の成果のうち、とくにドイツの思想・文化を受容した近代日本の<文明批評家>においては、その<批評>意識がどのように覚醒され概念規定がなされていったのか、換言すれば、近代日本におけるドイツ思想・文化の受容は、当時の知識人による<批評>の概念形成のうえでどのような意義を有していたのか、という今後の研究課題にアプローチするために、本論文では、明治期における<批評>概念の形成過程に関する概略的な見取り図を描くことを目標とした。 現段階での結論としては、<批評>という用語そのものにまだ揺れのあった明治初期の段階から、明治10年代から20年代にかけて、坪内逍遥らによって<批評>という言葉が通常の表現として用いられるようになったこと、その後、あるべき文学を模索し志向した森鴎外、高山樗牛、島村抱月らを始めとして、綺羅星の如く活躍した文学者たちの旺盛な批評活動をとおして、明治末期にいたり<批評>という言葉が哲学的にも明確な定義を与えられるようになったことなどを確認した。 また、ジャンルとしての<批評>も、明治期における<批評>という用語の普及とともに、新聞・雑誌というメディアを発表舞台として定着していったと考えられ、このようなメディアとの関わりで、近代日本における<批評>ジャンルがどのように成熟していったか、さらに<批評>に依拠して執筆された実際の小説作品と<批評>そのものが、どのように一体化されて時代の文学が形成されていったかについても、今後の研究課題である。
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