鎌倉時代初期に書かれ、現存する最古の物語評論を中心とした王朝女性文化論である『無名草子』について、その引用関連の文献を総合的に調査し、文学史と文化史の中に位置づけた。従来は現存しない散逸物語などの資料とされ、その批評は、和歌的な美意識による印象批評とみなされてきたが、これを失われた王朝女性文化に固有の視点からの王朝憧憬の書物として、その特殊な位相を解明したところに特色がある。それは、この作品において取り上げられた文献の引用から見られる特徴を女房の視点からジェンダー論として捉えるとともに、取り上げられなかった作品や歴史的また文化的な事象をも視野に置くことによって可能となった。 具体的な実績としては、引用関連文献を、注釈レベルにおいて再検討することを基礎作業として、作品名と人名を中心とした文学史の中に相対的に位置づけたことである。個々の文献の成立年次は確定できないものが多いし、年表としては大きな流れを示すことになるが、王朝女房の視点による貴族社会が崩壊したという歴史的位相が明確となる。『無名草子』という作品の構造からは、序の物語における仏教的な価値評価の強さに対して、本論では仏教的な価値基準はきわめて弱く、失われた現実としての王朝女性文化への憧憬が明確な価値基準となっている。これは、すでに和歌、特に歌集の編纂や鏡物などの歴史物語、また説話集が男性貴族の文学として女性から簒奪されていた時代にあって、『源氏物語』を中心とした「作り物語」を王朝女性文化の中心をなす伝統を示し、『源氏物語』をはじめとする物語の評価基準や、説話集など関連文献の引用の手法においても明確である。
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