本年度は『大日本史編纂記録』(原題『往復書案』)(彰考館旧蔵/京都大学文学部博物館現蔵)のうち11冊〜16冊相当分の翻刻を終了した。書案は、江戸又は水戸在住の彰考館員・水戸藩士の間で・京都をはじめととする各地の資料収集や、資料の所在情報を交換する内容である。時期的には元禄2年(1689)〜5年(1692)に相当している。資料内容については引き続き、冷泉家・九条家・東園家など公家の所蔵にかかるものを借りて筆写し、御礼の金品を遣わすといった作業が中心になっている。しかし「堂上風あしく」(12冊目・井上玄桐宛佐々宗淳・吉弘元常書案)なる表現が示すように、公家方も当時経済的困窮から金品目当てに多額の謝礼を要求し、また資料の所在有無を明確に答えないなど、非協力的な態度も目立っている。この時期貸し借りをめぐって『小右記』に関する記事が多いことが注目される。加えて主要な記事としては『参考太平記』(元禄2年成/同4年刊)・『扶桑拾葉集』(元禄2年序/同6年刊)の編纂状況に触れる。前者はあくまで『大日本史』の補助資料という名目で編纂されたが、凡例の作成にも光圀の意見に時に反論しつつ推敲を重ねるなど、館員の実証的態度が看取される。木下順庵や安東省庵など、彰考館員以外の儒者との交流記事や、水戸藩の御用絵師狩野興雲が天神像など肖像画の模写を請け負う記事が散見するのも興味深い。事件としては、元禄3年7月に将軍徳川綱吉が、湯島に聖堂を移転を命じた記事が詳しく、「昌平坂」の名称もこの時明示されたことが知られる。
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