『大日本史編纂記録(原題:往復書案)』(彰考館旧蔵 京都大学文学部古文書室/茨城県立歴史館現蔵)は、主として彰考館総裁ら館員による書案の集成である。散逸したものもあるようだが、年代も延宝期から文化期までと近世前期から後期に及ぶ。『大日本史』以外にも彰考館員の人的交流や関連著作の編纂事情を知る恰好の資料である。本研究では従来あまり言及されることのなかった正徳五年(一七一五)刊『舜水先生文集』本文二十八巻とその余滴というべき宝永四年(一七〇七)刊『舜水朱氏談綺』三巻四冊の企画から刊行に至るまでの紆余曲折を、元禄期から正徳期の書案によって考察した。そこで新たに鮮明になったのが、水戸藩と柳河藩儒安東家関係者の親密な協力関係である。 中国・明の遺臣朱舜水は長崎で安東省菴の援助を受け、水戸藩主徳川光圀に招聘され、江戸に安住した。その没後光圀は元禄九年に舜水の文集の企画を明言し、序文を柳河在住の省菴に依頼した。光圀・省菴の没後は舜水の愛弟子で彰考館総裁であった安積澹泊が中心になり、本務というべき『大日本史』「紀伝」担当の傍ら、精力的な実務能力を発揮し前掲二書編纂を完成させた。さらに当時の藩主徳川綱条の意向をうかがい、京都の書肆茨城多左衛門から出版するに漕ぎつけたのである。その過程で『省菴先生遺集』等省菴関連著作の刊行を企画する安東〓菴と子息仕学斎ら三代にわたる協力の上、舜水の著作探求と校合を成し遂げた。また両藩邸を通じた書簡・資料のやり取りや情報交換、茨城の江戸出店小川彦九郎の役割、入銀制出版や献上本の実態、漢詩文集特有の付訓作業や版下清書作成の困難、誤刻訂正箇所の差し替えや製本・装丁の差別化など、当時の出版事情の詳細について明らかになったことは多い。
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