本年度は、2年度に当たる。昨年、三河の新城歌舞伎の台本を調査・撮影したので、これの整理・検討を行い、臼子地区の台本144点について、本年度の雑誌に中間報告した。また、三河の足助町内の台本については、以前調査した事があるが、新たに発見されたものもあり、再調査した。また、東美濃ふれあいセンター及び中津川市史編纂室の保管・管理する東濃歌舞伎の台本(伊藤恵美子所蔵台本383点・後藤家旧蔵台本117点・安田時幸旧蔵台本97点・その他83点・纐纈一年旧蔵台本46点)を調査・一部撮影した。さらに、また、加子母村の明治座及び下呂町白雲座の劇場内に書かれた落書きを調査、これは両劇場の上演記録として十分有効なものである。さらに、南信については、昨年予備調査した下條村の下条歌舞伎・長谷村の中尾歌舞伎の台本を調査・撮影した。前者は120点あったが、後者は10点程度でしか収集できなかった。後者は文化年間の台本があるとの事だったが、所蔵者の都合もあり、調査できなかった。また、大鹿歌舞伎の調査も行ったが、ここについては村の教育委員会による詳細な報告があるので、これを資料として入手した。さらに、研究対象地区との比較資料として、昨年調査した赤城村については、一部台本の調査を行い、また、本年度は山形県酒田市の黒森歌舞伎の調査をも行った。 収集した資料の検討を少しずつ進めているが、地芝居台本としては、現在のところ、足助地区に残る寛政期のものが最も古く、これ以前のものは丸本や浄瑠璃本を利用して、地芝居の台本としていたらしいことがわかった。南信地区などは、明治以降もこの形態で行われていた。また、地芝居は村の若連中が主体となって行う所が多く、台本の管理もこの者達に任されていたが、明治以降役者の鑑札制度が行われると、地芝居もこの鑑札を持つ者を中心に行われるようになり、この者たちは地役者として活動することも多く、地芝居にも地役者の影響が強く表れるようになり、台本も地役者の個人蔵のものがばかりとなる。猶、地芝居には振付師匠が活躍する地域が多いが、宝暦・明和頃かららしいことがわかってきた。
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