出版文化は作者の主体性や書庫の営為との相関などさまざまな要素を考慮した上で、さらに総合的・具体的に追究しなければならない。作者や書肆を取り巻くメディア共同体としての出版文化サークルのなかで相互に影響しあって形成されるのである。同時に出版文化サークルはいくつも形成され、それらが知的ネットワークをはりめぐらして文化を生み出しているのである。江戸時代中期はすでに出版文化はそのような知的ネットワークの具体相の追究なくしてはその本質的な理解はなしえないといえる。本研究課題では文学に限らず当時に活躍したさまざまな分野の著述者・学者及び出版書肆を取り上げる。知的ネットワークの具体相を解明し、出版文化の本質的な理解を目的としている。 今年度は書肆であり、学者としても活動した加賀屋中西敬房について重点的に調査・検討を行った。敬房は『諸家人物誌』に、書肆にして学を好むものとして取り上げられている。その師承関係についてはふれるところがない。敬房は書物を媒介として自己の天文学を形成しているのである。その著述・出版は独学によるものであると明言している。そのような書物を継承し、さらに後世に期待する学のあり方が、書肆であり学者でもあった敬房の特質であった。それは当時の出版文化の成熟を物語る。文化伝播・継承の新しい形態であり、典型であった。同時に、書物の出版には書肆をふくめた文化サークルが関与し、文化の伝播・継承に先導的な役割を果たしていたのである。敬房は書肆加賀屋の当主としてのあり方と天文学の学者としてのあり方を矛盾なく両立させていたが、それは当時の出版の文化的な実態であったのである。
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