「『好色一代男』の新しい創造世界-重層的文章の創出と視覚メディアとしての出版-」は、それまで俳譜師としてメッセージを発信していた西鶴の浮世草子への転進の意味について論及したものである。西鶴は、俳譜特に矢数俳譜の発信の量、速報性に注目していた。しかし、その矢数俳譜が基本的には聴覚的なメディアであり、一回性と限られた聴衆に対するものであることを自覚した。真の意味でのメッセージの発信が不可能であることへの自覚が、視覚的メディアである浮世草子の創作・出版への転進を呼んだと考えられる。『好色一代男』は散文ではあるが、1話が本文2・5丁、挿絵0・5丁で統一される定型をもつ。西鶴はその定型の中にいかに多くの情報を盛り込むかに努力した。重層的文章、挿絵の巧みな利用によって、額縁世界を構築したものであると論じている。 「狂歌師雌雄軒蟹丸の紀行文の共有性と日用性-付・翻刻『狂歌浪華菅笠上』-」「雌雄軒蟹丸の職人歌合」と文化サークルの実態-付・翻刻『狂歌浪華菅笠下』-」は、狂歌師雌雄軒蟹丸の活動の具体相を、紀行文と狂歌合を吟味することによって論じたものである。近世の紀行文はその記録性が特筆されるが、蟹丸の紀行文『浪華菅笠』は蟹丸の属した文化サークルである狂歌仲間に日常的に共有され、その中に含まれる狂歌、作歌事情の具体相は狂歌指導に利用されるものであったこと、同様に「職人狂歌合」もサークル内での共有物として狂歌の指導に利用されたものであることを明らかにした。そのために紀行文3種と狂歌合という一見性格のことなるものが、一冊にあわせて出版されていると論じている。
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