本課題について大きく二つの方向から追究した。その一は松岡玄達、中西敬房、九如館鈍永さらに雌雄軒蟹丸などの学者や書肆や狂歌師のメディア共同体の中での活動の考察である。彼らが出版メディアを媒介として文化ネットワークを構成し、幅広い活動を展開していることを具体的に明らかにした。玄達の場合は自身の活動ではなく、その後を受けた弟子や書肆、狂歌師が、玄達の閉じられた学者活動を、出版メディアを利用することによって、開かれたものに造り替えていったのである。敬房の場合は書肆加賀屋としての活動と自己の天文学者としてのあり方を見事に調和させ、文化ネットワークの一員としての幅広い活動を展開した。また蟹丸の狂歌師としてのあり方は、単に狂歌のみに限られた活動ではなかった。その紀行文を例にとって、狂歌サークルが実は文化ネットワークとして機能していたことをあとづけた。もう1つは、井原西鶴の出版メディアに対応していくあり方を具体的に追究した。俳諧師から浮世草子作者への転進の意味は、自己のメッセージの発信の有効性を求めたものであったことを解明した。閉ざされた撰集であるそれまでの俳諧撰集から開かれた俳諧撰集へと展開し、さらに大矢数によるメッセージの発信、その限界の克服として印刷本へ展開したのであった。印刷本のメディアとしてのネットワーク性、有用性を自覚的に追究している具体相について考察した。
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