本研究は、近代文学観のジャンルにとらわれずに、文学テクスト全般から形似表現と玄学表現を発掘することを目的として、以下のような知見を得た。 (1)西晋の陸機の「演連珠」五十首は、先行研究においてはその玄言批判が注目されてきたが、五十首のなかには玄学の発想による記述も多く含まれており、叙述が玄学と非玄学との間を揺れ動く振幅の大きさを示している。 (2)上記の「演連珠」を始めとする陸機の詩賦では、自然(非人為)の事象や景物と人事とを対照的に配した修辞や対偶が多く、叙述が自然と人事の間をも振幅している。 (3)陸機より十数年のちの郭璞の詩賦では、非玄学よりも玄学のほうに、人為や人事よりも自然のほうに重きを置かれて叙述されている。そうした書き方をもたらしたのは、郭璞における玄学の認識の深化であったと考えられ、そのことは、『荘子』の表現をさらに徹底させた郭璞「客傲」の叙述からうかがい得る。 (4)しかし郭璞において玄学の叙述と景物の描写は、別々の作品に分裂して記されていた。これが郭璞より二十年ほど後の、〓闡や蘭亭詩の作り手たちになると、両者が一篇の中にまとめられ、後者が前者によって根拠づけられることになる。玄学と形似は、叙述の上で統合される。 (5)上記の〓闡や蘭亭詩人たちの作では、自然の景物と書き手である「我」とは、無条件に融合しているが、彼らより半世紀ほど遅れる謝霊運の作は、自然の景物を細緻に描きながらも、それらと「我」との乖離を語る。「我」は往々「物」から疎外されている。かつて陸機より半世紀ほど先んずる曹植や阮籍らは、「我」と人々(社会)との乖離、人々からの疎外を、嘆きをこめて詠じていたが、玄学の導入を経、謝霊運に至って、文学における「我」のスタンスが変化しており、曹植や阮籍の頃とはことなったかたちで「我」の問題が再び現出していることが分かる。
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