中国における歴史的共通言語「官話」がもつ、正統言語また流通言語としての両側面が、周縁における華化メカニズムの中で、両輪の歯車の如く機能したことを、明清期の周縁地域における官話学習から考察した。特に中国東南域における正統意識の転変が、言語そのものの位置づけに大きく関わったことが、考察の中から明らかになった。琉球士族の家譜に見られる官話語料は、これまでに研究されたことのない新資料であるが、その実態は「境界性中国語」(vehicle languageとしての中国語)と呼ぶにふさわしい特徴を有していることが明らかとなった。また清末の宣教師が、琉球において布教を行った際、現地役人との間の公式のコミュニケーションの場では、完全に中国語を介していたこと、多くの場合は、広東もしくは香港近辺の商人たちが通訳として雇われていたことが、史料調査の中から明らかになった。またその揚で使用された「中国語」も、その破格の特徴からみて、一種の「境界性中国語」であったと見なすことができる。このように、琉球という視座を通して、明清期、中国沿海地域から境外にかけての広範な交易圏において、人的移動と言語の流通を通じて境界性中国語-「官話」-が拡散し変容した事象を具体的に叙述することが可能となった。また、八重山博物館、沖縄県立博物館、沖縄公文書館、琉球大学、また法政大学沖縄文化研究所などに所蔵される、各種琉球「官話」資料及ぴ官話教科書の調査を通して、これら琉球で用いられた「官話」に、福建省で編纂された正音書や白話小説、さらに皇帝聖訓の官話版など通俗書の影響が色濃くうかがえることも、本研究によって明らかとなった。
|