本年度も昨年9月・12月と宇和島市立図書館へ赴いて、「鳩ヶ谷鈴村家文書」「博多鈴村家文書」所収の上甲振洋の詩文集『存々斎集』『存々斎集第二輯』『存々斎集拾遺』『振洋先生詩稿』を始め、それらの編輯者鈴村譲・弟良一関係の資料について、原本を見つつ筆録したり、パソコンに打ち込んだり、複写・デジカメ撮影をしたりして調査を行った。その結果は、15年前の拙稿「上甲振洋研究序説」(「内海文化研究紀要」第18・19合併号、1990年3月)の「四 振洋の著作」に述べたテキストの過誤を、筆者が使用して来た資料は「鳩ヶ谷鈴村家本」であって、「博多鈴村家本」ではないと訂正して詳しく述べ、且つ『帰献録(松島記)』の写本資料を活字化し、解題を附けて研究の基礎資料としたものを「上甲振洋研究の資料と『帰献録(松島記)』の翻刻」(400字詰め80枚)と題してこの3月末に発行予定の「内海文化研究紀要」に登載した(上記『存々斎集』等の諸資料に載せる関連資料をも読解し、その結果の一部を盛り込んだ)。兵頭賢一著『愛媛県先哲偉人叢書第五巻上甲師文』(松山堂書店、昭和14年)は、その96頁以下にこの紀行の「附詩」二十三首を挙げるのみで日記本文がないので、それを活字化したことにより「松島記」の全貌が明らかとなり、「附詩」も理解し易くなった。ただ、遺憾ながら時間の都合もあって、異本との校合や原文の訓読文・口語訳・注釈などを附ける訳注の完全原稿の作成は未完成である。なお、「松島記」の目的地である「松島」、また「塩竃」「多賀城碑」などを昨年10月学会の折り訪れて、デジカメに撮ったり、資料を筆録したり、資料館を訪れたりなどして、資料蒐集に努め、『帰献録(松島記)』の本文理解に役立てた。それにしても、科学研究費補助金により資料調査を行い、15年前の拙稿の過誤を補訂し得て、科学研究費補助金の有り難さ、意義を感じた次第である。
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