平成13年は10月に科学研究費補助金の交付を受けて、12月と翌年3月に八幡浜市民図書館や宇和島市立図書館で「鳩ヶ谷鈴村家文書」「博多鈴村家文書」所収の上甲振洋の詩文集『存々斎集』『同第二輯』『存々斎集拾遺』『振洋先生詩稿』などを調査した。その結果、『帰献録(富士山遊記)』は、「博多鈴村家本」ではなく、「鳩ヶ谷鈴村家本」であったことが判明した。その成果の一部を「上甲振洋『帰献録(富士山遊記)』訳注」として発表した。平成14年は9月・12月に宇和島市立図書館で「鳩ヶ谷鈴村家文書」「博多鈴村家文書」所収の上甲振洋の詩文集や、その編輯者鈴村譲・弟良一関係の資料について調査をした。1990年に発表した拙稿「上甲振洋研究序説」の「四振洋の著作」で述べた過誤を、筆者が使用した資料は「鳩ヶ谷鈴村家本」であると訂正して詳しく述べた。且つ『帰献録(松島記)』の写本資料を活字化し、解題を附けて「上甲振洋研究の資料と『帰献録(松島記)』の翻刻」として発表した。平成15年は9月に愛媛県・高知県で『三旬程記』の資料調査をした。11月に東京都・茨城県・福島県で『帰献録(松島記)』の資料調査をし、新しい研究資料も入手した。12月には宇和島市立図書館で「鳩ヶ谷鈴村家文書」と「博多鈴村家文書」を再び調査して、これまでの疑問に対する一応の解答を得た。その成果を「上甲振洋研究の資料(其の二)と『三旬程記』の翻刻」として発表し、今後の研究の基礎作業が完成した。平成16年は9月に宇和島市立図書館で「鳩ヶ谷鈴村家文書」と「博多鈴村家文書」をより詳しく調査し、やや曖昧であった事項を明確にした。また、『三旬程記』に登場する「川津村」(愛媛県西予市城川町)で、板短冊を調査し、この報告書の一篇としてまとめた。更に『帰献録(松島記)』について、原文の訓読文・語釈・口語訳を附けた訳注としてまとめ、四年間の研究を締めくくった。
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