罪の意識を手がかりに近世英国演劇とその周辺の諸テクストを横断的に考察する本研究では、一年目の成果として、結婚の言説をめぐる「罪」が男性/父権者によって定義され抑圧的に行使される様子とそれに抵抗する女性たちの姿を、ほかならぬ父権制の枠組みそのものが反復的、かつ包摂的に表象することで制度としての安定化をめざそうとする状況を確認した。その中でバラッドや演劇が描く婚姻の破綻の危機は、父権制の転覆の可能性をスキャンダラスに描くことで逆説的に「罪の犯し方」を、換言すれば、制度のほつれを暴いてもいる。喜劇におけるべッドトリックの伝統は、多くの場合女性の側の欺瞞が父権制の安定に最終的には貢献するというかたちをとり、そこではいわば、「災い転じて福となす」式の論理がはたらくことにより、罪の合理化が行われることになる。神の祝福による結婚をめぐっての欺瞞は、神に対する罪(sin)の重さを忘れ人問相互の関係性における罪(crime)へと推移することにより、喜劇的枠組みに容易に回収可能なものとなる。だがそこではからずも露呈するのは、人間相互の関係性としての結婚を支配する父権的・男性中心的言説の虚構性であり、それを出し抜く女性の戦略は、機転のみならず、シェイクスピアがThe Two Noble Kinsmenで示したように、狂気というかたちをとることもある。この狂気もまたシャリヴァリなどの表象の伝統に包摂されようとするが、そこには実に豊かな不協和音が響いている。次年度以降はバラッドや演劇作品をめぐる、狂気の表象が研究の焦点となろう。
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