1920年代に流行した「フラッパー」の語は1930年代、大恐慌時代の到来とともにほぼ消滅するが、かつてフラッパーだった女性たちのその後の生き方を問題とする作品・資料に照らしてみると、「フラッパー」の女性像の背後には、社会的進出を求める自立した女性像がひそむことが明らかとなる。たとえばハリウッド女優ジョーン・クローフォードは、その出演作品において、20年代のフラッパーから30年代の社会進出を図る女性像へと変化・成長する経歴を示すため、やはりフラッパーの時代を経て作家として女性主人公の自立を主題の一つとする『風とともに去りぬ』(1936)のマーガレット・ミッチェルとのあいだに興味深い対照関係をなす。ただし同時に、そのような自立した女性像はアメリカにおいて、十九世紀以来の女性の活躍の伝統によって--いわば女性版の「開拓者精神」と混じりあい、それによって支えられてきた。小説において女性版開拓者精神は、ウィラ・キャザーの『おお、開拓者たちよ』『私のアントニア』(1910年代)エレン・グラスゴーの『不毛の大地』(1925)などにおいて鋭く発揮され、映画においてはウェスタン映画が、「男まさり」の女性たちをヒロインとすることによって、活発で対等な女性像をほぼ必須の条件とした(たとえば繰り返し映画化された『ヴァージニアン』など)。結局のところ、「フラッパー」に眉をひそめた「お上品な伝統」を担ったのも、それを「フラッパー」的風俗の次元で破壊したのも、いずれも女性たちの役割を待ってのことだった、という認識は、アメリカ文化における女性の重要性を、今まで以上に印象づけるものである。
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