エドワード朝においてイギリスの国家像がイングランドの田園を基盤として、田園主義的価値観のもとに形成されていった経緯を追跡しようとする本研究は、ヴィクトリア朝後期から1920年代にかけて書かれた都市論、退化論、産業革命論、「土地へ還れ」運動、農村論、田園都市論、民族再生論といった、現在においてはすでに忘れ去られたおびただしい第1次資料の広範なる読解を絶対的な必須条件としている。 研究の初年度となる本年は、それらの資料の収集につとめた。とくに19世紀末イギリスで書籍あるいは論文のかたちで発刊されていた、ジェイムズ・キャントリーの「ロンドン子の退化」をはじめとする都市論的テクストの収集は、本年度の大きな収穫である。 それらの都市論的テクストが全体として主張しているのは、(1)都市がその不健康な空気(オゾンをふくまず、逆に病原菌と煤煙をふくむ)のゆえに、田舎から来た人びとのあいだに退化を拡大させるおぞましい空間であり、(2)そのような空間としての都市がイギリス全土に拡大しつつあるということは、その意味でイギリス国民の健康にかんしてゆゆしい事態である、ということだった。そのようなものとしてそれらのテクストは、ダーウィニズムの隆盛以降にあらわれた退化論とむすびあって、国民退化の思想を生み出す原動力となっていった。 また、アーノルド・トインビーの『産業革命』が公刊されたのが1884年だったことからも知られるように、このような都市論的テクストと並行して、イギリスに大いなる富をもたらした産業革命にたいする否定的な観念も固定的に形成されていき、20世紀にいたるまでの大きな影響力をもちはじめた。 来年度は、このような都市論、退化論、産業革命論を背景にして生まれたエドワード朝の田園主義的価値観の詳細について集中的に研究を進めたい。
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