17世紀以後、中世ヨーロッパの特異な現象であった魔女狩りが新世界アメリカで再現された背景には、ピューリタン的世界観などの知的背景や、北米大陸の厳しい自然風土などがあった。例えば、当初思春期の少女たちの虚言に過ぎなかったセイラムの魔女狩りが大規模な集団ヒステリーになったのは、悪魔がセイラムを標的に定めたとする愛国的知識人、聖職者の終末的世界観に起因するところが大きい。ニューイングランドにおける魔女裁判をめぐっては、当時から頑迷な植民地指導者一派と、リベラルな市民との間で熾烈な論争があった。事件後自己批判した者たちも少なくなかったが、同時に依然として自らの世界観に執着し、その非を認めるのを拒み続けた者たちもいた。このセイラム魔女裁判は、姿を変えつつ、その後のアメリカ史に繰り返し登場し、現在にまで及んでいる。だが、何と言っても、植民地時代の魔女裁判の最大にして最も忠実な再現は、1950年代の赤狩りだった。そこで我々は、セイラム魔女裁判と赤狩りを史上2つのピークとして捉え、それぞれが生み出した文献、すなわち「魔女狩りナラティブ」を検討した。前者では魔女狩りと同時代の文書から、19世紀小説テキストの検証を経て、現代小説や演劇の検討を行った。後者に関しては、1950年代の政治的および知的な言説を分析し、赤狩りに直面した多くの知識人の対応を様々な角度から検証した。いずれにあっても、アメリカの知識人たちが、国家社会の危機にあってしばしば勢いを得る自己中心的で独善的なアメリカ主義と、人道主義的でリベラルな行動指針との間で分裂し、苦悩する様が表現されている。本報告書は、植民地時代から20世紀へと至る「魔女狩りナラティブ」の連続性に注目し、その詳細な検討を試みたものである。理想主義の光と影に彩られたアメリカの知的風土の特質を追求することで、アメリカ研究の更なる深化につながるものと確信する。
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