本研究は、アメリカ文学を地方主義(regionalism)という観点から究明しようと試みたものである。東部、南部、中西部、西部という従来の合衆国の地域分けを本研究も踏襲した。しかし、E.エリオット編『コロンビア米文学史』(1988)で地方主義を担当したJ.M.コックスも、「西部は未来と移動性そのもの--つまりアメリカなのだ」と、西部を扱うことの難しさを歎いているが、本研究でも、西部の研究は言及程度に留まった。とはいえ、従来の地域分けにつきまとっていた、ニューイングランドを含む東部を合衆国文化の中心とする政治的、経済的力学と連動した地域文化観の偏りを意識して、4地域を平等の力学の中で捉えようと努めた。もっとも本研究者の関心が、W.フォークナー研究にあり、当然、南部に比重が大きく傾くことは避けがたかった。が、それでも、現今の批評の柱であるジェンダー、階級、人種という3視点に注意を払い、宗教やエスニシティや時代の要素にも目配りしながら、各地域のアイデンティティやイメージ、すなわち、その地方が意識し内面化しているアイデンティティと、文学や映画や写真などの外部のメディアや部外者が提供するイメージとが、どのように絡まって重層的に地方の特質を築きあげていくのかを考察しようとした。その際、F・ジェイムソンの『地政学の美学』(1995)やH.K.バーバの『文化の位置づけ』(1994)という文化唯物論的なポストコロニアリズムの視点に立つ研究書を参照することにより、場所の間にも歴史的に構築されたヒエラルキーが存在することを認識し、文学における地方主義の表象解釈が依拠していた審美的な要素に、彼らの先鋭なイデオロギー的な視線を呼び込むことにより、少しは新しい解釈を提供できたのではないかと自負している。
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