本年度は資料収集と執筆準備に予想外の時間がかかり、論文などの完成形を発表するには至らなかった。 まず、時間哲学に関するゴールディングの問題意識を追った。文学における時間意識の研究というと、ポール・リクールやフランク・カーモードの論考あたりが連想されるが、ゴールディングが第四作の長編小説Free Fall(1959)で示した時間構造意識は、カーモードのThe Sense of Ending(1966)をかなり先取りしている(もしくはカーモードに着想の契機を供給している)らしいことが見えてきた。Free Fallにおける時間構造の特異性についてはこれまでも研究されてきたことで、従来はその二重構造性に注目が集中していた。ところが研究を進める中で、先行研究が見落としていた第三の時間相に目を向ける必要があることが判明した。現在これを論旨とする論文を執筆中で、六割がた完成している。 同時進行の形で、ゴールディング作品における神秘学(特にルドルフ・シュタイナーの神智学・人智学)の影響についても、調査を進めている。ゴールディングの処女作The Lord of the Flies(1954)には、ゲーテーシュタイナーの色彩論が、何らかの影響を及ぼした可能性がありそうだ。また、神秘学の影響が最も色濃いDarkness Visible(1979)についても、神秘学文献と照応させつつ再読を行っているところである。 シュタイナーといえば、児童教育についても精緻な理論構築とその実践を行った人物である。ゴールディング作品には教師が頻出するにもかかわらず、ゴールディングの教育観についてはあまり研究が進んでいないことがわかった。ここにシュタイナー教育論の影響はないか、目下、ゴールディングがいろいろな雑誌等に書いた書評類を渉猟し、この点についても研究を進めている。
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