1.ピユーリタニズムの時代的変容を調べるに当たり、ディキンスンが詩作の指導を仰いだ評論家・社会改良家のT.W. Higginsonの思想との関係を調べる目的で、ディキンスンからヒギンスン宛の主要な手紙を翻訳した。ディキンスンの自然観・(反)教会制度観・恋愛観などを調べる目的で、彼女の親友の新聞社主筆Samuel Bowlesと判事Otis Lord宛の手紙を翻訳した。さらにはピューリタン色の強い当時の宗教に対する態度の変化を調べる目的で、彼女の兄、妹、学校友達への手紙を翻訳し、解題を付した。(雑誌論文等の欄を参照) 2.日米教育(フルブライト)委員会派遣の上級研究員に選抜され、ディキンスン研究の権威であるアメリカはブラウン大学のSt. Armand教授の下で、親しく研究する機会を得た(2001年9月〜12月)。また教授とともにアマーストに出かけ、U. Mass大のPorter教授、Mt. Holyoke大のBenfey教授たちと懇談した。またSt. Armand教授の来日(2002年5月)に際し、立教大でのシンボジアムに参加した。 3.『九州アメリカ文学』42号(2002年11月)に「隠遁詩人ディキンスンのマグマ」と題する論文を発表した。 4.ディキンスンの父が理事を務めていた当時のアマースト大学で学んだ内村鑑三の留学時代のカリキュラムなどを点検し、当時の教育が実証主義の自然科学を重視しつつ、他方でキリスト教的な信仰を重んずる宗教的な色彩の強いものであったことを確認した。 5.アメリカ・ピユーリタニズムの伝統を今日、継承するものとして、『トマス・ウルフ論集』(共同執筆)とスタインベックについての論文を出版し、学会誌の書評で取り上げられた。
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