英米を舞台にしたD.H.ロレンスの中編小説『セント・モア』(1925)の読解を集中的に行った。まず、『カンガルー』(1923)と比較検討することにより、『セント・モア』における復讐心と群集の表象を検討した。その結果、『カンガルー』においては、忘却されていた戦争がサマーズの悪夢として回帰してきたことを契機として、復讐心が前景化し、群集や暴徒に関する省察が繰り広げられていたのに対し、『セント・モア』においては、小説の中盤で、戦争の悪夢が回帰してくる代わりに、転倒事件にともない悪のヴィジョンが突如展開され、それに呼応して復讐心と群集の可能性が消滅することが明らかになった。 次に、社会ダーウィン主義・優生学の観点からの先行研究を参照することにより、『セント・モア』における自然と文明の概念を再考した。その結果、善としての自然/悪としての文明という二項対立が、小説終盤において自然、文明ともに両義的になることにより放棄されること、またそれに伴い、この作品の提示する「破壊的創造」という社会ダーウィン主義・優生学的ヴィジョンが、登場人物や物語の展開から乖離し、その意味内容の不在化を被っていることが明らかになった。これらの研究成果は、それぞれ論文にまとめ発表した。 また、来年度、これまで積み上げてきたロレンスに関する研究を著書としてまとめるにあたり、最近の批評動向に習熟していることが必要であると判断し、Robert BurdenのRadicalizing Lawrence : Critical Interventions in the Reading and Reception of D.H.Lawrence's Narrative Fictionの書評を行った。
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