英米を舞台にしたD.H.ロレンスの『セント・モア』(1925)の読解を引き続き集中的に行い、この中編小説におけるアジアと悪の表象を検討した。 まず、この小説が執筆されたのと同じ1924年に書かれたロレンスのいくつかの手紙を参照することにより、「アジアの中心」はタタール地方である可能性が高いことが分かった。また、この悪が極めてグローバルな性質を持つことから、『セント・モア』は、アメリカの黄禍に対する恐怖を、ヨーロッパの汎モンゴル主義に対する恐怖へと重ね合わせて表象したテクストと見なしうることも明らかになった。 しかし、悪の表象をよく吟味してみると、堕落した近代文明も悪とされているように必ずしもアジアにのみ悪の原因が帰されているわけではないこと、さらに、小説舞台がイングランドからアメリカへと移行することに伴い悪の問題自体が周縁化されていることも事実である。つまり、悪の表象の変遷の結果、不可思議な悪の根源としての「アジアの中心」という表象は、明確なシニフィエを持たないままテクスト内で浮遊する過剰なシニフィアンとなっていると言える。 ウォルター・ベン・マイケルズは『セント・モア』がネイティヴィスト・モダニズムのテクストと同じ構造を持ちながらもネイティヴィズムを欠いていると指摘したが、『セント・モア』における悪の暖昧性もこの観点を援用することにより説明できるように思われる。ただし、『セント・モア』には、マイケルズの普遍主義的原始主義者としてのロレンス像からずれる側面もあり、その齟齬の含意については、「羽毛の蛇』(1926)をも視野に入れた上で考察する必要があるだろう。 これらの研究成果は2003年夏に京都で開かれた第9回国際ロレンス学会で口頭発表し、その原稿を加筆修正し二つの論文に発展させた。
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