D.H.ロレンス『セント・モア』(1925)の読解を引き続き集中的に行うと同時に、『羽毛の蛇』(1926)の持つ反帝国主義的側面を検討した。 まず、「アジアの中心」を起源とする悪が全世界を覆うという主人公ルウの見る幻想を、ジャック・ラカンあるいはスラヴォイ・ジジェクの「現実界」(real)ないし「現実的なもの」という概念を援用することにより検討した。その結果、ルウが直面しているのは、それまで慣れ親しんできた社会の象徴秩序に走る亀裂、あるいはそれを穿つ穴であり、『セント・モア』のこの一節は、日常世界がラカンの言う「現実界」からの侵入を受けたときに、人がそれを防ぐべく、恣意的な表象でしかありえない幻想に逃げ込むプロセスを記述していることが明らかになった。 また、ジル・ドウルーズが、『批評と臨床』(1993)第15章「裁きと訣別するために」において、ロレンスを「古代ローマ人から現代のファシストに至るまでの死の帝国主義を記述」し、戦争や戦争の側にある神の裁きとは異なる、「闘い」に価値を置いた作家とみなしていることに注目し、『羽毛の蛇』を、ロレンスが神の裁きや戦争、死の帝国主義に抗いながら書いた反帝国主義的側面を持つテクストとして解釈する可能性を模索した。 これらの研究成果は2004年6月に日本大学芸術学部で開かれた日本ロレンス協会設立35周年大会における第2部「D.H.ロレンスと帝国」のワークショップ(司会・講師)で口頭発表し、その原稿を加筆修正した。
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