本研究は、19世紀から20世紀転換期のアメリカ文学における日本観の変遷を扱うことを目的とする。元祖黄禍はジンギスカン率いるモンゴル民族軍によるヨーロッパ侵略の形をとったが、その悪夢は、アジアからの移民の増加と日本の軍事力の増大により、19世紀から20世紀転換期にアメリカで再燃した。本研究は、東洋による西洋(領土/仕事/女性)の支配に対する懸念である黄禍論に対する異議申し立てを、西洋と東洋を相対化する視点を模索した(人種的/文化的)ユーラシアンたちの作品に見出そうとする。 中国系カナダ人ウィニフレッド・リーヴ(オノト・ワタンナ)の日本小説は、蝶々夫人やお菊さんなどで定着しつつあった、西洋(男性)による東洋(女性)の支配というジェンダー/性で織りなされたオリエンタリズムの関係を脱し、世紀転換期にアメリカで取りざたされた「新しい女」の日本版を作り出し、国籍を超えた女性同士の「心」と「神経」による「シンパシー」を模索した。自身のユーラシア性を文化翻訳者に見出していたと思われるこの作家は、日本の浦島伝説を、西欧の人魚伝説とあわせ、浦島太郎ではなく、あとに残される乙姫の物語へと翻案し、出世作『日本鶯』を書いた。ヨネ・ノグチの朝顔嬢小説は、蝶々夫人やコミックオペラ「芸者」に対する批判を含み、ワタンナの日本小説に対するパロディとして意図されたものだが、あまりに過激なジャポニスムとの戯れゆえに、またゲンジロウ・エトウのジャポニスム装丁ゆえに、かえって出来の悪い日本小説として受容された。白人作家ウォラス・アーウィンが生み出したハシムラ東郷は、日露戦争後の黄禍論や東洋人排斥運動を直接的な背景とし登場した擬似日本人だが.幾度となく「黄禍」と呼ばれた賢い道化のスラップスティックは、黄禍論の(イ)ロジックのみならず、ジャポニスムや日本小説のウェットな感性をも完壁に笑いのめした。
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