当該研究期間のあいだ、私が取り組んできた主要な研究は、一言でいえば、アメリカ合衆国という社会の根幹に横たわる「人種問題」を中心に据え、奴隷制と人種(主要に白人と黒人)が、どのようにアメリカ文学のテーマ形成や表現方法に関わってきたかを究めることであった。その意味で、私は(イ)十九世紀の自伝的な奴隷体験記(スレイブ・ナラティヴ)の実情とその特徴、(ロ)1850年代に書かれ始めた元奴隷だったものたちを中心とする黒人の文学表現の展開と問題点、(ハ)そうした奴隷体験記や黒人の文学表現が、1850年代の所謂「アメリカン・ルネサンス」を代表する作家たち(メルヴィル、ホーソーン、エマソン、ソロー、ホイットマン)や彼らの諸作品にどのような影響を及ぼしたか、あるいは何らの影響も及ぼさなかったかなどについて、文化的な面だけでなく政治・社会・宗教などの諸問題も視野にいれて考察した。 具体的な成果としては以下の諸点をあげておきたい。 (1)十九世紀のアメリカ文学を多文化主義的な観点から再検討することができた。とりわけ、所謂「アメリカン・ルネサンス」期の文化状況を多元的に捉え直すことができたと考えている。 (2)具体的には、エマソン、ソロー、ホーソーン、メルヴィル、ホイットマンらの「ヨーロッパ系白人男性」作家を中心に論じられてきた十九世紀のアメリカ文学を、たとえばストウ夫人らの「家庭小説」ないしは「感傷小説」の女性作家たちとの関係、さらにはフレデリック・ダグラスやハリエット・ジェイコブズらの所謂「奴隷体験記」をものした黒人の書き手たちとの関係において論じ直していくことで、従来のどちらかと言えば狭隘なアメリカ文学研究のフィールドを外延的にも内包的にも拡大・深化させえたと考えている。
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