本年度は、フランスの聖史劇における「花」の象徴性のあり方についての研究・考察に従事した。そして、関連する書籍等の資料を収集するとともに、アルヌール・グレバンの『受難の聖史劇』を中心に、その「花」のもつ意味を聖と俗の枠組みから分析し、かつその象徴性の歴史的背景についての探究を行なった。具体的には、 1.まず聖史劇自体が、聖俗の関係性においてどのような布置をとっているか、 2.聖史劇の「花」の象徴はいかなる聖俗関係のヴィジョンを可能にしているか、 3.その「花」の象徴体系およびヴィジョンは歴史的、文化的にいかにして成立したのか、をテーマの柱とした。それぞれの考察からえた新たな知見は以下の如くである。 1.聖史劇は、従来の演劇史研究では、純聖的な典礼劇と比べて世俗的な要素に満ちているという理由から、いわば典礼劇の堕落版とみなされてきたのであるが、しかしその世俗性とは、地上で受肉受難したキリストに対し、同じ人間として共感を寄せる信徒の視点から出ているものであり、聖的見地からみて、否定的なものではないと考えられる。 2.キリストと聖母マリアに結びつけられた「花」は、聖俗の包括的なイメージを象徴すると同時に、聖を志向する聖的理想主義を旨とするものであるが、その両義的体系はあくまで俗を基盤としたもので、そこに、肉をもってこそ、すなわち死を経てこそ天国の生に到達しうるというパラドクシカルなイメージの表象が認められる。 3.聖史劇の「花」の成立に影響を及ぼした背景としては、花の短命性を語ったりその開花を神に結びつけた新約や旧約の言葉、花を性愛の象徴として歌った中世やルネサンスの詩、さらに、宗教的倫理の象徴としての花を究明した騎士道物語群、或いは神秘的受胎や救済を巡る聖母譚、そして天地を問わず花を散らした中世来の絵画などがある。
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