本研究は、一九世紀末に登場した精神分析学およびその大きな影響下で展開した二〇世紀の西欧思想を参照しつつ、美術作品に対する新しいアプローチのありかたとして「欲望の美学」を提唱しようとするものである。研究は美術史的・思想史的なアプローチを酒井が、精神分析理論からのアプローチを原が主として担当する形で進められた。 西欧の歴史の中で、美術のあり方はその姿を大きく変えてきた。そうしたさまざまな美術がそれぞれにわれわれの心を動かすということを、われわれは「欲望」を鍵概念として究明した。われわれはまずこの概念が精神分析、とりわけフランスにおけるラカン的な展開において全面的に見直された過程を、ラカンにおける「欲望」概念の独自の分節化(欲求・要求・欲望の三分法)および「欲動」の再規定に注目しつつ検討し、彼の理論的な努力を、「欲望」概念にそれが本来持つべき多様な次元を返し与えようとする試みであると位置づけた。さらに、こうした「欲望」概念から「美」を規定しようとしたラカンのセミネール『精神分析の倫理』(1959-60)の議論を分析した上で、彼の表象システムをめぐる議論---いわゆる「鏡像段階」に始まり、アナモルフォーズを経由して最終的にはベラスケスの「侍女たち」にいたる議論---を、「欲望の美学」の先駆的形態とみなして、その展開を跡づけた。 またラカンの1960年代後半の議論からは、その多様性が主体の個人史のみならず、その主体が生きた時代、社会からも規定を受け取っていることが明らかになる。こうした観点から、上記の作業と平行して、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ハンス・ホルバイン、フランシスコ・デ・ゴヤ、フィンセント・ファン・ゴッホについて、その作品や生涯を当時の社会的・文化的コンテクストのなかに置き直した上で、芸術の次元と無意識の次元の関係という観点から検討し、各画家論としてまとめた。
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