ブランデンブルク・プロイセン地域の少数民族は、ドイツ人=抑圧的支配者、少数民族=被支配者という単純な二分法的図式では捉えられない複雑な歴史と文化をもっている。そして、この複雑な歴史と文化が、ブランデンブルク・プロイセンの自然詩の少数民族形象をかたちづくっている。ブランデンブルクの自然詩人フーヘルを例にとって説明する。フーヘルの詩集は、ツィクルス構造(詩集としての統一的構造)を有し、その構造と「徴」形象(自然から人間へとあるメッセージを込めて発信される形象であり、フーヘルの自然詩の特徴となっている)と少数民族形象とが密接に結びついている。第1詩集『詩』(1948)は、当時のソ連占領地区のパラダイムを反映して「民衆・民族の自立」の歴史をツィクルス構造によって表している。その「民衆・民族の自立」の象徴として少数民族ヴェンデン人が置かれている。ジプシー形象は、すべての詩集のツィクルス構造のかなめに置かれているが、特に、第2詩集『街道 街道』の冒頭詩篇『徴』では、「徴」を発信する自然と重ねられている。また、第4詩集『第九時』では、ジプシー形象は、ツィクルス構造の中軸を形成し、「魔術消去」を被る形象としてフーヘル自身を投影している。ユダヤ人の形象は、旧約聖書を基礎にして、フーヘルをとりまく状況を映している。第3詩集『余命』では、エフライム形象とバビロン捕囚形象が、東独での軟禁生活や東独からの亡命を映しながら、ツィクルスの骨組みを作る。詩集『第九時』では、ユダヤ・ヘブライ形象(アムモン人)が異郷で死を待つフーヘルを映している。一方、ユダヤ人の形象は、ドイツ現代詩ではアウシュヴィッツ問題を象徴することが多い。しかし、フーヘルの全詩集のツィクルス構造を分析することによって、フーヘルにはこの問題が存在しないこと、彼にとっては第2次世界大戦とは敗走と難民の時代であったことが明らかになった。
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