平成13年には、主として三島由紀夫と辻邦生におけるゲーテ受容を研究した。三島由紀夫は『禁色』や「卒塔婆小町」(『近代能楽集』所載)を書いていた頃、ゲーテと特に取り組んでいた。三島が人文書院版『ゲーテ全集』第4巻に「プロゼルピーナ」を訳したのは昭和30年代前半のことであり、この頃にもゲーテに対する強い関心が続いていたものと思われる。この訳は三島自身から申し出られたものだということを、人文書院のかつての編集者(樋口至宏氏)に会って知った。また三島と陽明学との関係を研究している林田明大氏からも彼の三島観を聞いた。『禁色』や「卒塔婆小町」は三島由紀夫の「わがファウスト」と呼べるものであり、『禁色』に出てくる南悠一と檜俊輔はそれぞれファウストとメフィストに、また「卒塔婆小町」に出てくる若き詩人と100歳の小野小町もファウストとメフィストに当たる。そのようなものとして三島は両作品を構想したというテーゼを裏づけるべく、調査・研究をおこなった。 作家とは暗い鬱勃たる情念のなかに閉じ込められ、悲劇的な生涯を送るものであるという俗説がある。この俗説からすれば、辻邦生は「悲劇的な作家」とは正反対の生の明るい面を体現していた。辻邦生がその点で、同じく人生の「明」の面を好んだゲーテに惹かれたのは偶然ではない。辻邦生のゲーテ論である「ゲーテにおけるよろこびと日々」には、人生とは楽しむべきものであると考えたゲーテの生き方が生き生きと活写され、これまでのゲーテ学者が見落としていたようなゲーテの本質が浮かび上がっている。しかし、ゲーテは決して明るいだけの人ではなかった。同じく辻邦生氏も、一見すると明るい面の裏には、多くの苦悩が隠されていたことを、未亡人の辻佐保子から詳しく聞くことができた。
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