対外的な成果としては、山口大学「独仏文学」第25号(2003.12、p.113-136)に「カフカの『判決』における仮面の交換-作品内在的解釈と精神分析的解釈」(1)を発表した。また口頭発表としては、日本独文学会西日本支部の第55回研究発表会(2003.11.29)で「カフカにおけるカイン像」を発表した。前者は昨年度の研究課題の成果であり、後者は本年度の研究課題の成果である。 発表にいたらなかったが、研究活動としてはカフカの中期の作品、とりわけ『審判』と『流刑地にて』について研究した。カフカの罪意識は、一筋縄ではいかぬ独特の構造を備えていて、『審判』と『流刑地にて』では異なった相貌を示している。「なにも悪いことをしていない」のに「逮捕」される『審判』のヨーゼフ・K.についてブーバーが「罪と罪意識はちがう」という明察を提示したのは、1957年のことである(Merkur; Jg.11.S.711ff。刑法で規定されるような罪なくしても、罪意識が生じるのとは、またフロイトの研究の核心にあった。メランコリーの際に生じる罪意識に「根拠がない」のはなぜか、超自我の問題はこれを廻って展開されている。カフカは「罪意識は(過去の)返還請求」にすぎず、これが実現すれば、「自由、救済、相対的満足の感情」が、「後悔の念」を「遥かに超えて高まっていく」(Br.123)と述べている。
|