ガリレオの対話形式について、特に『プトレマイオスとコペルニクスの世界の二大体系についての対話』(通称『天文対話』)を中心に詳細な分析を行なった。 まず作品のもっている演劇的性格に関しては、たとえば登場人物自身が自分は役者のような存在として議論を進めているという主旨の表明がある(サルヴィアーティの「自分は仮面役者としてコペルニクスの真似をしている。舞台衣装を脱ぎ捨てたときの私は、舞台に立って物語を演じるとこに夢中でいるときの私とは違う」という内容の発言)。これなど、登場人物自体はただ役者としてそれぞれの役柄(アリストテレス派・コペルニクス派)を演じているだけで、作品がまったくの架空のものであると弁明しつつ、そのような演劇作品として、読む側にも楽しむよう誘っていることの証しとなっている。 さらに議論は、だいたいにおいて、アリストテレス派のシンプリーチョが最終的には自分の意見が矛盾していることに気づかされる方向に進むが、この議論のありようはソクラテス的問答法を意識したものであることが指摘できる。ガリレオはアリストテレスの論述形式に対してプラトンの対話篇を意識してこの作品を書いたのである。 そして、さまざまな言説の中には、脱線して本筋とはあまり関係のないテーマについて述べられることもある。このようなケースの中には、ガリレオが着想したものの、まだそれだけでまとまったものを書けるほどには発展させていないようなテーマ(たとえば、無限論)についての発表の場としている場合がある。対話体ならではの機能と言えよう。 議論を展開していく中でときどきガリレオは学問のあり方・学者の学問に対する姿勢について述べてもいる。これが作品全体の流れを引き締める役割を果たしている。
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