帰属という杜会心理学の概念を援用することによって、日本語と中国語のとりたて表現(「ばかり」と"jing")の共通点と相違点を説明でき、さらに、それ以外の日中の言語差(期間表現「ずっと」と"yizhi"、頻度表現「ときどき」と"ouer")も同時に説明できるような、汎用性の高い仮説を構築した。この仮説の中核は、知識と体験という、言語情報の区別にあり、この区別は、人間と環境とのインタラクションが話し手の中で活性化されるパタン(探索と体感)と程度に関係している。 次に、この言語情報の区別をデキゴトモデルに取り込むことによって、この仮説がこれまで問題視されてきたり、見過ごされてきた、日本語のさまざまな言語現象(いわゆる過去表現「た」のムード的用法、存在場所表現「に」と「で」の使い分け、さらに、とりたて表現「だけ」「しか」「ばかり」の細かな使い分け)にも利用できるということを示した。 さらに、最近ではメディア、構造、コミュニカティヴ・ストラテジー、内容の4面にわたって考察されている、話し言葉と書き言葉という言語位相のレベルにおいても、この仮説を適用することによって新たに説明の道が開けてくる現象が存在することを、オノマトペや引用表現を用いて例証した。 また、音声会話における声質の分析にも同様の仮説が適用できることを示した。さらに、知識と体験の区別が現実のコミュニケーションにおいては表現類型上の区別ではなく、より根元的な行動類型レベル上の区別として機能していることを示した。
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