1 児童文学で明治期から移入され、知名度の高い作品についてのジェンダー意識の検証をまずは重点的に行った。具体的には、以前から研究を継続していたウィーダ『フランダースの犬』と、バーネット『小公子』を取り上げた。前者に関しては、テレビアニメや映画など映像化された再話への変容過程を追った。その結果、脇役アロアの「少女」性が日本における再話の重層化の中で、「聖性」を帯びたイメージを作られるといった特徴を指摘しえた。また、後者については加藤武雄が大正期の童話雑誌と、昭和初期の婦人雑誌に掲載した再話を対照させて検討した。読者対象が「子ども」か「女性」かによって、原作との懸隔や物語の構造そのものに明らかな差違が見られる一方、男性作家・再話者の、両者に対する教化のまなざしの重なりも見られた。 2 より広く児童文学における「子ども」意識を拙屋していく中で、「けなげ」という概念を一つの鍵にしていけるのではないか、との見通しを持つにいたった。たとえばマルコ、レミ、ネロなど明治期からたびたび翻訳・再話されてきた代表的作品の主人公たちは、一方で「いたいけ、いじらしさ」を、他方で「強さ、勇気」を含意するこの語を体現したものと認定できる。また、『家なき子』のように、読者の性別を問わずそれが規範として提示されることもあった。ただし、とくに少女を対象読者とする場合、ディケンズ『骨董屋』に基づく「ネル」再話のように、再話者の工夫に関わらず、「けなげ」のいたましさを増幅させやすい傾向も見られる。 3 その他現代のカニグズバーグ作品や、「アラビアン・ナイト」の再話など、幅広くジェンダー意識を探る中で、地域・時代を越えた普遍的な問題と日本における特殊な問題の双方が、それぞれに明確化されえた。それらをふまえてさらに広く、大衆的な文化状況の中での「子ども」とジェンダーの問題を追究したい。
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