今年度は、膨大な量のハリエット・カーペンターの書簡のうち、根室発の手紙を中心に、判読、書き写し、データ化、日本語訳をさらに押し進めた。 2002年6月には、合衆国、コネティカット州立大学で開催された、第12回バークシャー女性史学会に参加し、明治時代の日米関係についてのパネルで、研究論文"The Letters from Nemuro"の抜粋を発表した。この論文は、明治期のキリスト教宣教が日本人の意識に与えた影響、とくに、カーペンター自身の生き方が日本女性に与えた影響を、ハリエットの書簡を通して検証するものである。共同研究者、ヴィクトリア・ムサロン教授も、同じパネルでこの研究題目についての独自の論文の発表を行った。これらの論文を掲載予定の論文集Unsetting Encounterの出版は事情により遅れているが、それまでの間、バークシャー学会のネット・アーカイヴスに掲載することにした。 学会出席のためアメリカ訪問の際、ハリエット・カーペンターの故郷マサチューセッツ州ニュートンセンターにある、姉の夫ホヴェイが学長を務めていた神学校をおとずれ、カーペンター、ホヴェイ関係文書、およびバプテスト宣教についての資料を収集した。 書簡を中心にしたカーペンターの伝記については、まだ準備段階である。書簡のテクスト決定の過程で浮上した、バイブル・ウーマンという、宣教師に付き添って通訳、あるいは交渉者として働いた女性たちにも興味をひかれた。職業女性のさきがけともいえるが、特殊な状況にあるため、まったくといっていいほど知られていない彼女たちの実体を、継続かつ新しい展開の研究として進めたいと考えている。これまでの収集資料の中にも、バイブル・ウーマンに関するものが含まれている。また女性史学会のパネルにおいては、他国のバイブル・ウーマンの活動の記録についての言及もあった。
|