ギリシア・ローマの古典文学は、民話、昔話、伝説など民間伝承の諸形態からさまざまな要素を取り入れている。とくに神話を題材とする叙事詩・悲劇においては、きわめて多くの民間伝承の要素が含まれており、それぞれの作家がエピソードや場面に部分的に民話などを応用しただけではなく、さらには作品全体を構想し物語・劇の骨組みを形づくる際にも、そうした民間伝承の話形や展開をもとにしている場合が少なくない。このように古典文学の創造に民話等の民間伝承が果たした役割は測り知れないのであるが、しかし従来の古典文学研究では、民話の考察はギリシア史家ヘロドトスの説話文学を対象として行なわれている以外には、個々の作品の小規模なモチーフについて散発的になされている程度にすぎず、叙事詩や悲劇の主要な古典作品と民話との関わりをより広範かつ給合的視野から扱った研究は、国内外を問わず行なわれていない。本研究はそうした観点に立ち、西洋古典文学の主流をなすギリシア・ローマの叙事詩と悲劇において、民話をはじめとする民間伝承がどのような形で創作に取り入れられ、いかに文学創造に貢献したのかを、原典研究にもとづく文献学的な実証的方法によって明らかにした。とりわけ叙事詩においては、ホメロスの作品の背景をなす口誦伝統と民間伝承との関係、およびホメロスの伝記の形成における民間伝承の役割、また悲劇作品においては、ソポクレス『オイディプス王』の下敷きとなった「宿命の子」の民話に関して独自な分析を行なった。さらにはローマの叙事詩、喜劇、恋愛詩における民間伝承的要素に関しても、「他者」の規定をめぐって考察した。以上の成果はそれぞれ、全国的規模の学会および刊行物において一部を公表した。
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