ギリシア・ローマの古典文学は、民話、昔話、伝説など民間伝承の諸形態からさまざまな要素を取り入れている。とくに神話を題材とする叙事詩・悲劇においては、きわめて多くの民間伝承の要素が含まれており、それぞれの作家がエピソードや場面に部分的に民話などを取り入れただけではなく、さらには作品全体を構想し、物語・劇の骨組みを形づくる際にも、そうした民間伝承の話形や展開を応用している場合が少なくない。しかし従来の古典研究では、叙事詩や悲劇の主要な古典作品と民話とのかかわりについての本格的な考究は進んでいない。本研究はそうした観点から、古典文学の主流をなす叙事詩と悲劇の代表作を取り上げ、それらと民話とのかかわりを文献学にもとづく実証的方法を用いて明らかにした。主な考察の主題としては、ホメロスの叙事詩の背景をなす口誦伝統と現代の民間口誦物語詩との比較について、ホメロスの伝記の形成における民間伝承の役割に関して、またソポクレスの悲劇『オイディプス王』と『コロノスのオイディプス』と民話とのかかわりについてである。とりわけ『オイディプス王』と『コロノスのオイディプス』に関する論考では、宿命の子の民話が作品の基本的構想に深くかかわっていたことが、世界各地で採集されたさまざまな形態のオイディプス型の民話伝承のみならず、ホメロスを初めとする初期ギリシア詩、ソポクレス、アイスキュロスおよびエウリピデスの悲劇などの古典作品のテクストの綿密な分析を通じて初めて明らかになった。
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