3ヶ年計画で行われた本研究の成果の概要は、以下の通りである。 1 従来の近世公事宿・郷宿研究における通説的理解は、それらが主として民事事件関係者の訴訟支援を行ったものとする、しかし、それらは決して民事裁判だけに関与したものではなく、刑事事件にも様々な形で関与していた。とくに、軽罪の未決勾留施設としての役割こそ幕藩領主が公事宿・郷宿に期待したものであり、明治期に至ってこの役割が消滅したことが、公事宿・郷宿から代書人・代言人への転換を進めた契機の1つであることが解明された。 2 明治初年の江戸商人と秩父郡(現埼玉県)商人間で生じた金銭訴訟をめぐる新史料を翻刻・分析し、約1年間の訴訟期間中、秩父郡の商人は江戸の公事宿や岩鼻県(現群馬県)役所近辺の郷宿に計194泊していることを確認した。その費用はおそらく8両余となり、同道した関係者の分も含めると、この訴訟に費やされた時間と費用は膨大なものにのぼることを具体的に明らかにした。なお、研究成果報告書には、この希有な史料を全文翻刻掲載した。 3 明治初年の代言人が刑事裁判に関与できなかったことの理由として、通説ではそれが慣行だったからといわれているが、そもそも明治初年の刑事裁判は、公平な第三者としての裁判官が判定を下すという構造をとっておらず、そこにいるのは糾問者としての裁判官と被糾問者としての被告人であり、この構造自体が弁護人制度を採用させなかった根本理由である点を忘れてはならないこと、それにもかかわらず代言人資格試験に刑事法の問題が出題されたのは、公事宿・郷宿の系譜を引く者をそこから排除するという政策に基づくものであることを明確にした。
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